YB-1はカブのロータリーミッションみたいだけどクラッチが付いている!
跳ね上げもできるが、跳ね上げるとシフトダウンだ!
ややこしいが何とかミッション操作ができぞ。
この1か月くらいで、3種類のミッションバイクに乗って、ぐちゃぐちゃになって適当に運転できるようになりました。
・・・と
先日の暗峠の弘法の水で沸かしたコーヒーを飲みながらブログを書きはじめていました。
硬水だからすっきりな感じだなぁと思いつつ(実際はわかりにくいです・・すみません)
その横で、地図を見ていた家族が騒がしい。
峠を調べたりしていたそうだ。
その過程で大阪の山にも廃村なるものがあり、そこへの道は地図から消された状態が数多くあるとのこと。
人の出入りが少なくなり、ハイキングコースからも外れて、藪で塞ぎつつあるような道といえるのかという状態になっているのです。
廃村には車もあり、かつては車道であったところも、時が経ちそのようになっているのです。
察するに数十年で。
まぁ、よく行く北海道は、大きなアスファルト道でも、付け替えられていくことが多いですが、付け替えられて通行禁止で使わなくなったら数年で森ですからね。温度差でアスファルトも砕けていきますのでね。常に思うのです・・自然のチカラは凄いと。
ある一つの廃村に行くには情報を集める限り大変そうでした。
廃村の近辺には、和歌山県で最古のトンネルというものが残っているという。
これは見学しなければ、ということで廃村までの現地付近の下調べも兼ねてバイクで出かけてみました。
YB-1とスーパーカブ50 SDX(瀬戸から来たの)で出かけました。
私はカブをメインに乗ります。
現地は、見学用に整備されているとかでなく、現状放置だそうです。何年か前に行った方のブログでは徒歩で藪をかき分けないと近づけない状態でした。
「行けるところまでいく」です。
山間を駆け抜け、たどり着きました。
いきなり森の中ですね。
この奥へ続く山道を行くのですが、先に息子の方がカブで偵察しに行きました。
私はYB-1とともに留守番。
寒い冬真っただ中、しょうがないので、カフェオレ飲んで待っていました。
ん~っ、なかなか戻ってこない。
しびれを切らしてYB-1で登ってみることに。
数日前に雨が降ったのでところどころ泥濘、ダートです。
これで行くべきでなかったかなと思いつつ、ダートに車輪を取られながら斜め走りをになったりで、オフロード面白いとも思いました。
無事、倒さずにたどり着きました。
ここに溶け込むのは、やっぱりカブだな。
自分の山の様子を見に来た人みたい。
さて、池田隧道が見えました。
1886年竣工の和歌山県最古の様式トンネルは、立派なレンガ造りです。
130年以上前の建造物としていい状態にみえます。
レンガを3重に重ねたアーチ造りです。
入口で様子を見ると、向こうから風が吹き抜けてきます。
一瞬千と千尋の神隠しが頭をよぎります。
こちらが北側(大阪側)の出入口です。
入口から1mぐらいのところで幅1mだけレンガがありません。
岩がむき出しです。
ここだけ固い岩をくりぬいたので、レンガなしでも大丈夫ということなのでしょうか。わかりませんが、その岩も長い年月で一部が崩落していました。
バイクのヘルメットをかぶったまま見学。
床は頑丈な石畳です。
反対側の出口付近です。
先に続く道がないようです。
出ました。
やはり絶壁ですね。
まっすぐ道はなく左右にあるようでその先藪ですね。
ほぼ行き止まりです。
明治19年ですからね、無くなって当然ですよね。
かつては和歌山へと下りていく道があったそうです。
トンネルを出て振り返ると、これまた立派なトンネル名を記載した扁額です。
少し文字が崩れてきていますが、右から読んで池田隧道(いけだずいどう)とみえます。
明治時代の建造物らしい上端の装飾が良いですね。
南側(和歌山側)出入口付近全体の画像です。
入口外側のレンガの重ね方がイギリス積みです。
中の壁は長手積みですね。
ちなみに北側の出入口外側の画像を戻ってみてもらうとわかるのですが、フランス積みになっています。北と南で違いがあるので、どういう経緯があったのでしょうかね。
これらは池田村財産区の所有となっており、今は合併して内田町になっています。
ありがたいことに出入口付近は誰かの手によって草が刈られています。
130年以上前のもの、立派に感じますね。それが今も残っているのには感動しました。
和歌山県の史跡として保存・展示ができないかなと思いました。
・・・
さて、秘境まで連れて行ってくれたYB-1ですが、帰宅してみるとそれなりに泥だらけ!
水をかけてはいけないところを避けつつ、綺麗に洗って水けを拭き取っておきました。
メッキピカピカなバイクなだけに、使い放しにはできないバイクです。