帰宅してから、途中寄り道して(前のブログのこと)赤川鉄橋を見てきた話を家族にしていたら、家族もぜひ行って見てみたいということに(・∀・)
結局その日の夜ふたたび深夜になりつつある、この場所に向かうとは・・・
道中、往復しているから通るのは3回目、もう慣れた道だ。河川敷に上がる手前の路地で踏切の音が聞こえ始めた。
走って駆け上がり、橋のたもとにある踏切に近づくと貨物列車が通りすぎるところだった。
さっきは見なかった貨物の編成。ただ残念なことに橋の上でなく、たもと。
時々フラッシュの閃光が、橋の上にいてた人たちは記念の撮影をしているようです。
まだまだ、たくさんの人が名残り惜しくも、思い思いに橋に集まっています。
テレビカメラも様子を撮りに来ていました。
(左下手前大きなカメラを担いでいる中腰の人:かんさい情報ネット ten.という読売TVの番組放映用でした・・・)
本日2度目ですが倅と往復渡りました。閉鎖時刻は10月31日24時。その20分前から渡り始めたので、結構急ぎで少し疲れました。(片道600m、往復1200mもありますからね)
戻ってたどり着くとちょうど24時「閉鎖します。閉鎖します。」と・・・
まもなく、看板をゴソゴソ
横からずらしてきました。さっきまで横にあった閉鎖予告看板?
とおもいきや、いつの間にか説明が「閉鎖します」から「閉鎖しました」になっていました。
そして封鎖。
赤川仮橋は、平成25年10月31日(木)24時に閉鎖しました。
赤川仮橋は、80数年間にわたり皆様にご利用いただきましたが、「おおさか東線」整備のため、閉鎖させていただきました。
今後は、上流側にあります菅原城北大橋をご利用いただきますようよろしくお願いいします。
という説明と地図が看板に掲載されていました。
その後しばらくはテレビ局が閉鎖の状態をライトで照らしながら撮影していました。後の放送で見ました。
0時25分、仮橋部分も誰もいなくなった橋
とうとう、最後の閉鎖までみることに、でもいつも使っている方なら悲しいみたいです。泣けている人がおられました。こうして80数年ものあいだの赤川仮橋の歴史が閉ざされました。
おわり