2018年6月18日(月) 大阪北部地震の時、JR大阪駅を出た直後の京都方面行き新快速に乗っていました。
震源地のすぐ近くに仕事場があるので、先月なら早出していたからたぶん仕事場で被災していたと思うが、今月は少し遅く出ていたので通勤途中で被災しました。
JR大阪駅を出て多数の線路ポイント切替を抜けるところだったので元から揺れがあり、地震の揺れかどうかが分かるほどの揺れを感じることはなかったです。
そのため緊急停止した直後の、外に見える架線電線の揺れで地震だと目で確認できました。
あとは、皆さんの地震速報がけたたましくなりましたね。
直後から架線の電気もストップしており、車内のエアコンがないまま1時間30分は缶詰になっていました。
ぎゅうぎゅう詰めといった満員でなく、立っている人の間も、人ひとり以上入る隙間があるぐらいでしたので、すぐに危機感はありませんでした。
満員電車での危機感といえば、狭いところでの温度上昇です。
この列車の窓は換気用としてほんの少し角度をつけてしか開きません。
もし、満員ならエアコンが効いていても暑くて大変なところ、エアコンなしではどうなっていたかわかりません。
当日は曇りで気温も20度台まで、扇子で仰ぎながら過ごせましたが、真夏の晴なら暑さで全員体調良く過ごせるのは数十分も持たないような気がします。
少し暑い車内を過ごすのは、疲れます。
外に出たのは1時間半後、連結部分の運転席ドアからタラップで降りました。
偶然にも、先々週に過ごしていた駐車場の近くだったから(詳しくは前回ブログで)、場所的によく知ったところだが、線路上という不思議な感じ・・。
この間までうろうろしていた場所を下に見ながら線路高架上を歩きました。
誘導に従って大阪駅ホームにたどり着きました。
再び架線に電気が入ったのはいつなのでしょうか?
昼過ぎまで、復旧状況を確認しつつ大阪駅に居ましたが、戻った感はありませんでした。
一度、乗客を線路上に下ろす救助にJR職員は追われ、それが終わった後で線路の点検を行い、安全を確認出来てから列車を動かし始めるという手順だということを、駅の放送で何度もしていました。相当時間がかかるとのことでした。
より完璧な安全対策はこうするしかないのでしょう。
大きな地震でしたから、徐行しながら確認できそうな線路だけでなく、ところどころにある鉄橋などの構造物の足元からの状態など確認するところが多く人手がかかるのはわかります。
南海本線がスピード復旧したのは、路線が比較的新しい高架橋が多く、状況の判断がしやすかったのでしょう。
でも一番はやかったのは、阪堺電車(路面電車)でした。これは複雑な構造の線路がほぼなく、多くは車の走る路上で徐行しながらも確認できますからね。(災害に強い?)
お昼過ぎ、線路に下ろす救助をしているという情報も、京都方面復旧は無理と判断し、仕事場に連絡して、帰路の方法を模索しながら開始。
大阪駅から、まだ復旧していない路線を回避、大阪メトロ谷町線→千日前線を経て→難波へ・・・(ふだんなら御堂筋線一本なところ)
最初は天王寺にでて阪堺電車で帰ろうとしましたがが、途中で南海本線が復旧していたので、南海本線で帰りました。車内は少し混雑しただけで、地震なんてあったん?というぐらい静かに飛ばす南海の急行でした。
さて、震源地に近い仕事場は棚のものが全体的に落ちてしまっていたようで、写真を見ると凄かったので、翌日はスポーツ着をもって出勤だと思っていたのですが、なんと出勤できた人たちで、ほぼ元の状態に戻せたとのこと。お疲れさまでした。
私は車内の暑さと、最寄り駅でなかったので、少し長距離をカンカン照りのなか歩いたせいで、熱が入ったかで頭痛になり、帰るなり夕方は寝ておりました。・・・夜には復活しましたけど